#セトコーヒー

出張カフェのスケジュールや、コーヒーにまつわること書いてます。

鉛筆とコーヒー

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鉛筆の何が良いの? と訊かれたときの答えにくさは、珈琲ってどこが美味しいの? と訊かれたときの感じに似ている。

珈琲は、ちゃんとしたものはフルーティで美味しいよ、とか、気持ちを落ち着かせられる、とか、香りがさぁー、とか、焼きたてのパンみたいな本能的に惹かれる感じしない? とか、言えるのだけど、それで、質問者が、
「ふーん……そうなんだ。でも、私にはわからないかな」
となった場合、うむ、まあ、伝えること伝えた上でそうなのだから、まあ仕方ないか。
とはならない。

ちがうんだ、そうじゃないんだ。訊かれたから無理やり言葉にしたけど、全然そういうことじゃないんだ。待ってえ。

と、悶えると思う。
でも、うーん、どう美味しいのだろう。と、うまく言葉にできないけど、ぼくの心は答えを知っている気がする。
…………。
ちょっと考えてみましたが、よけいにわからなくなった。
でも、まあ、要は、
「なんか美味い気がする」
という、これに尽きます。

鉛筆もさあ。
なんか良いんですよ。
と、それじゃあ話が終わってしまう。

というか、はい、最近、鉛筆って良いなあというバイオリズムに入っている。
黒鉛を紙になすりつける、という、ミニマルさが良い。なんか。
自分にとって最良の筆記具とは? ということを考えすぎて、各社ハイブリッドインク・ボールペンやら、水性ローラーボールやら、いろいろ試して、種類多すぎて、わーってなって、鉛筆。
改めて、使ってみると、描線が太く変化していく感じが、適度に脳髄への刺激となって、具合が良いのだ。
鉛筆削りでサリサリ、整えるのも気持ち良い。
筆記具についての本は、けっこうあるけど、最近読んだ、鉛筆についての本が、だいぶんどうかしてたのもポイントが高い。

考える鉛筆

考える鉛筆


その本、鉛筆や鉛筆を削ることの魅力の話でまるまる一冊なのだけど、言葉を尽くして語られる内容が伝えるのは、理屈じゃねぇ、ということ。
一冊使って理屈じゃないんかい。と思うが、それが良い。

他で代用ができたり、人生でそれだけが必要なんてことは無いものについて、突き詰めれば、なんか良い、という以上の表現は不要なのだ。本来。

でもなー、オシャレなカフェでオシャレな女子が、えび茶色のHi-uniで筆記していたらどうか。
ふだんいい加減なことばっかり言ってるひょうきんなおっちゃんが、定食屋の片隅で食後のコーヒーを飲みながら、一人暮らしをしている子ども宛にステッドラーの青い鉛筆で手紙をしたためていたらどうか。
キュンとしないだろうか。
まあ特にしないだろう。
でとするひともいるだろう。キュンと。

話がちらかってきた……。
鉛筆、久々に使ってみようぜ!ということが、言いたい。
珈琲、とくにドリップするという行為との共通点はけっこうあるのだけど、今回はいいや。

ともかく、削るべし!