#セトコーヒー

出張カフェのスケジュールや、コーヒーにまつわること書いてます。

手紙とか書こうぜ

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いずれはお店を。
と考えるようになると、
では今のセトコーヒーとは何か?
というとことに意識が向く。
出張コーヒー屋。
イベント出店をしたり、
飲食店の定休日に間借り営業をしたり。
そういう存在であったわけだけど、
目標ができると、
今がその前段階ということになる。
通過点ということになる。
しかし、そうか?
通過点なんて、この世にあるのか?
通過点だった、ということはあると思うけれど、
いまこの瞬間を通過点として
捉えることは不可能だ。
毎回、全霊で、各所が、特異点
そうでなくては蓄積はない。
と思うけど、
それも後から考えることで、
まあ単純に、
いい珈琲豆あるから飲んでー><
というだけだったりする。します。
マスターが居て、珈琲を淹れていて、
飲んでくれるひとがいる。
それがセトコーヒーの最小単位であり、
かなめだと思う。
ぼくは珈琲豆の焙煎人ではなく、
カフェの経営者でもなく、
「珈琲を抽出するひと」である。
珈琲を提供するひと。
珈琲豆の旨みを引き出すひと。
珈琲は無数にあります。
産地の数、生産者の数、農園の数、
買い付け人の数、焙煎者の数、
ブレンドの数。
それから抽出するひとの数。
それぞれにプロフェッショナルがいる。
それぞれがそれぞれの魅力を高めたり、
または工程を経るごとのロスを
最小限にとどめたり。
たくさんあるのですよ。
いろんなひとからの手紙を
皆さんに届けたい。ちゃんと。
 
そして最後に、珈琲を飲むひとの数だけ、
珈琲は、ある。
小説を読むひとの数だけ
物語世界のイメージがあるように。
 
ぼくが淹れた珈琲は、
飲むひとの中でどのような物語となるのか。
そういう想像も、たのしいものです。
 
まあ、
「ふぅ」と、ほんの少し、
ちからが抜ける一杯となれば、
それが最上だったりするのですが。
 
というのはあくまでキレイなほうの言い方で、
要は、この珈琲どーよ!?
という、
自分の好きなものをひとに押し付けたい
思春期みたいな衝動だったりもしますな!